自己日記

孤高の異端たれ

堕落

前日の深酒による二日酔いもなく、起床。久しぶりのアルバイトへ行く。相変わらず、同じシフトのF氏である。

 

彼女はなぜ、あそこまで他人への優しさ、思いやりというものが欠落しているのだろうか。厚顔無恥という言葉がよく似合う。たしかに、言っていることはひとえに否定することでもないのだが、頭に思い浮かんだことはそのまま口に出してしまうような感じだ。一度、舌の上に言葉をのせる前に、考え、変換し、選択するという思考回路がもともとないのだろうか。美点にもなるだろう性格がゆえ、見つめなおしたらよいのにと毎回思う。悪口、愚痴を聞くのにも慣れてしまったが、たかが2時間だけの空間なのでいつものように適当にその場をやり過ごす。

 

午前中は派遣会社へ予約の電話をする。データ入力の方は複雑そうだったので、軽作業を選んだ。交通量調査がやりたい。氷点の下巻を読み終わる。三浦綾子の根幹ともいえる、神への信仰がいよいよ物語に絡んでくるようだ。

 

夕方、美容院に行く。短くバッサリと切る。社交辞令でも、褒められるとやはり嬉しい。どうも容姿に関して私は、自己評価が著しく低いのかもしれない。自分の中で完璧主義であり、自己完結、決めつけている節がある。もう少し自信を持つべきなのである。過度な自信と根拠のない自信は危険ではあるが、その都度客観視し、自分という存在を確かめながら、そして静かな自信を持ち合わせていこうと思う。

 

筋トレ、お風呂で汗を流す。三島由紀夫の女神という本の冒頭を読んだがなかなか自分好みの物語のようだ。楽しみである。

 

また勉強ができなかった。今日は、なぜできなかったのかを考えて反省すべきなのだ。いつまでたっても、変わらない。向き合う必要がある。このまま自分を律しきれない人間になってしまうのか?脱却をと始めた日記ではないか。

 

要因として、まず生活の習慣から変えなければならない。私の一日は、まず食事、そしてニコニコ動画を見ながら食後の惰性でさらに視聴、次に読書、昼寝である。この型にハマった一連の流れをどこかで断ち切らなければならない。読書を、切らなければならないと思う。活字を読むと、眠気に誘われる。毎回の、これが終わってからやる、を明日は必ず変えてみせる。就職活動は、今しかできないことだ。優先順位を考えろ。

 

明日のバイトでシフト変更の連絡を忘れずに。

惰性だけの毎日から脱却を

午前中に起床。天気は曇り。3時間ほどの睡眠だったが、目覚めは良い。今日は研究室へ行くことができた。何とか抜け出したい気持ちが、日記を始めて少しでも意識するようになったのかもしれない。まだ二日目だが。

気分転換に大学まで徒歩にした。歩くことは、脳の活性化にも良いらしい。これからの季節柄、頭にカビが生えないよう散歩を習慣づけておきたい。

雨に降られることもなく、学校に到着。しかし、研究室での息苦しさからは未だに解放されそうにない。研究とは本来、孤独と隣り合わせで淡々と行うものだと思い込めば気が紛れると思っていたのだが、院生や同級生の分け隔たりのない会話が嫌でも耳に入ってしまう。教授も同級生も、普通に話しかければ気兼ねなく返事をしてくれる優しくて、私とは違う磊落そうな人達なのだが。その一歩目の勇気が出ないのである。来月にある泊まり込みの実習が今から不安だ。

図書館で時間を潰す。合間に四季報を開いて内々定をもらった企業を調べてみたのだが、愕然としてしまった。3年以内の離職率が60%と記してあるのだ。一気に書類提出の意欲をなくしてしまったと同時に焦燥感に襲われ他の企業の説明会に登録。就職活動は長引きそうである。

私の選考の壁として、適性検査が挙げられる。生来勉強をすることが本当に嫌いで、そんな自分が準備をするはずもなくことごとく落とされている。今日こそ対策をと志し半ば、気付くとお酒を飲みながら映画を観ている。何年もかけて成熟し、この身体の奥深くにまで擦り込まれた堕落はすぐには拭えない。また勉強ができなかった。

観た映画は「私の男」。最近小説を読んだのだが、全体的に原作を忠実に再現していた。しかし、最後に向かうにつれて、少し異なった人物描写の方向性が見えてくる。ラストに発する一言には、原作とはまた違う惹かれるところがあった。酔いながらの鑑賞だったので、惰性で観てしまったことは否めない。

とりあえず、全ての諸悪の根源である、断酒から始めたい。



いつまで経っても同じことばかり

今日も捗々しい成果を得るとができませんでした。進捗ゼロです。

午後近くに起床。前日床につくときは、研究室に行くつもりが意志の弱い私はまた逃げてしまった。もはや罪悪感も感じない。山本文緒の「損の種をまいているのは、往々にして自分なのかもしれない」という言葉が思い浮かぶ。午後にエントリーシートを書く。無事提出。書き終えた後に、将来性のある企業なのか疑問に感じてくる。面接の練習程度に考えたほうがいいのかもしれない。要相談。

先週受けた企業から、内々定通知がポストに届く。人生初の内々定は、やはり少し嬉しい。高卒程度も採るような小売だが、身の丈に合っているのかもしれない。立地も魅力的である。6月までの返事を忘れずに。

ニコニコ動画を一日中観る。自分とは正反対の人間には羨望でしかない。自信にあふれ、快活で、話し上手。ただ羨ましがっているだけでは成長できないのかもしれない。

夜、日雇い派遣の登録をする。前々から一度はやってみたかった、交通量調査のバイトである。お金を稼ごう。何でもいいから、新しいこと始めよう。落ち着いたら、治験も視野に入れる。

今日こそは。動かなければ。勉強しなければ。頭で何回も何回も、繰り返し反芻しているのに変化のない日々を送っている。
なぜ改善に向けて行動を起こさないのか。今の環境に慣れてしまっているんですね、きっと。
読書のように、毎日ごくわずかな時間でも続ければ習慣がつくのだろうか。それは果たして、つまらないことでも、微塵も興味のないことでも可能なのだろうか。

いつまで続くかわからないが、本当に誰も見ることができない日記を毎日書き記したいと思う。

自分という存在が不透明に感じる。

下層民

明るく、和気藹々としている人たちは、純粋な芽生えたての幼い支配欲を自然と満たし、それを暗い人たちが斜に構えて見ている。
最底辺でみんなといる一体感は、居心地の良い安心感を与えてくれるし、不安なことから目を背けることができる。自分と同じ程度の人とわたしたちは仲間になり、それは楽だし楽しいことも多いが、決して成長は望めないだろう。自分にはないもの、尊敬できるような、そんな人たちと会話をし触発され刺激を受け、高め合うような環境下にいなければならない。
実際は、そこに飛び込む一歩がすごく勇気のいることなのだが。

演技性人格障害?

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家族の前では辛さをひた隠し、バイト先の人達とは聞き手に徹して自然を装い、研究室では嫌われないように愛想をふりまいている。
真っ赤な嘘をつくようになったりして、仮面をつけて周囲と接するようになっている。
くだらないプライドと虚栄心だけが膨れ上がり、見栄を張ることと自己保身とに疲れてしまった。どうすれば、素直になれるのだろう。昔はどうやって人と関わり合っていたんだっけ。

救ってほしい。