自己日記

孤高の異端たれ

落第生

私は、弱い人間である。23年間生きてきて、これ程にまで自分という人間を無意味に思ったことはない。思えば何も成し得ることのない、惰性で生きてきただけの人生だった。

父親は自分の芯を強く持ち、実直で堅忍不抜で、それでいて子煩悩で愛情のある生涯尊敬するであろう唯一の人でした。公認会計士という、素晴らしい肩書きを持ち、きっと学生時代には血の滲むような努力家だったのかと思われます。一度子供の頃に、父は「お金持ちになりたい」という夢を持っていたと聞いたことがありました。それを今現在実際に叶え、何不自由なく自分が今生活できていることを身に沁みて感じています。父は立派な人でした。

母親は、貞淑で心優しい人でした。父の人嫌いである一面をさりげなく支えるように、いつも他人に気を遣い、思いやりのある、誰とでも話を合わせられるような、心が綺麗な母でした。

地方から一人出てきて、父方の祖母の旅館を手伝い、その孤独さと不安を感じたであろう、きっと計り知れないつらさもあったのかと思います。祖母との生活の中で、息詰まることもあったかと思います。それでも忍耐強く、父親を一途に想う気持ちは純粋であったのだろうと今では考えています。一度だけ、母は湖に身投げして自殺をしようとさりげなく言ったことがありました。そんな陰をもちながらも、今生きていることは、やはり母の強さだと思います。

私は、子供の頃から両親の愛情を溢れるほど注がれ、育ってきました。自然を愛し、様々な場所に連れて行ってもらい、その都度新しいことに触れる機会がありました。田舎特有の、少し離れた都心にあるゲームセンター、または旅行として沖縄にも何度も行かせてもらいました。当たり前のように感じていたことでも、今では私の両親だからこそあった、特別な思い出だったとわかります。

そんな環境で育ってきた中で、私はろくな学生生活を送らず、果ては大学生活で留年をしてしまいました。お金をかけてしまい、空白期間を努力によって埋めようとせず、ただなんとなく過ごしていただけでした。
姉は、他の人には一生想像できないだろう悲しみを背負いながら、それでも社会にでて立派に働き、妹は自分の好きなことを一途に続けて頑張っています。

私は、大学を選んだときも、進学してからも、そして今研究していることも、全てなんとなくで終始曖昧なままで生きています。もっと本を読むべきだった、勉強をして、自意識と感受性を高めるべきであった。こんな後悔ばかりしています。結局、劣等感とプライドだけしか残らなかったのです。努力をしようにも、逃げてばかりの弱い人間だったのです。

きっと自殺してしまえば、今生きているよりも楽になれるかもしれません。しかし、どうしても両親、家族には恩返しがしたいのです。せめて両親が他界してからでないと死ぬに死にきれないのです、

もう少しだけ、頑張ってみようと思います。どうか、見守っていてください。