自己日記

孤高の異端たれ

自殺直前/山田花子より引用

特に心身に障害はなくても、この世ではいくら努力しても、生きていき難い人たちがいることを知った。

この世の少数派であるそういう人たちの中には、不器用で全てにスローペースであっても、繊細で感性が高く、優れた芸術的な感覚や才能に恵まれている人が多い。

 

スローペースで集団の足並みを乱す者は異端として差別され迫害され排除される。友達ができない。人とうまく付き合えない。家族と一緒にいても、何となく違和感があって孤独感が癒されない。

 

心に残った文章なので。あと久しぶりの更新となってしまった。

今後の過ごし方

曇り。午前中に起床。約一週間ぶりの更新。研究室で一日を過ごす。

 

今月は就職活動、そして大学を通しての精神的苦痛が最も大きかった。常に孤独を感じていたが、選考で落ちたこと、実習等でため込んでいたものがあふれてしまったのだと思う。

それを乗り越えて、少しではあるが余裕と落ち着きをもって現在記事を書けている。陰鬱な毎日を記すのではなく、できるだけ明るいことだけを書けるようにしたい。その日の楽しかったこと、新しい発見を、達成したことを。

 

今月に読んだ本。石川達三「青春の蹉跌」と久坂陽子「幾度目かの最期」

どちらも人生の指針となるような、強く感化された作品。

 

今週末にすること。成果報告の作成。就職活動の対策。美容院へ予約。バス予約。

午前中に起床。今日は朝から雨だった。電車で学校に行く。

昨日、母親と話したせいか、今日は一日少し気分が落ち着いていた。私は人と話すことが足りなかったのだ。言葉を発する活動は生活、健康、精神すべてに影響してくる。舌を動かさないと脳も退化し、退廃するだろう。これからは会話を意識しながら毎日を過ごしていこうと思った。

・携帯に依存しないこと、見る必要性をなくす

・ストレスの発散を(クラシックを聴くことはどうか)

 

就職活動に対しても、臆することはない。やる気がでてきた。説明会を予約し、素直な姿を企業に売り出していこうと思う。止まってはいけない。

研究室のこと。院生の先輩は最終面接に落ちてしまったようだ。短時間の間にもその不機嫌さ、不安定さ、フラストレーションをまき散らしている。きっと精神薄弱なのかもしれない。彼女も研究活動と家庭と、そして将来に苦悩しているのだ。敵意ではなく、哀れみではなく、仲間意識を持つことが大切なのではないかと思う。

帰宅後、人と話すためにインターネットで相手を探す。顔を知らず遠い距離感を持って話すのは気が楽でよい。一時間以上話してしまった。たまにぐらいの方がよさそうだ。通話中に、宅配便が届く。何年かぶりにゲームを購入。内容は脳のトレーニング。毎日続けたい。

深夜、妹から連絡有り。泊まりは多少抵抗があるのだが・・保留中。

 

今日は少し前進した、有意義な一日であったと感じる。この充実さを忘れずに、継続。

どん底

久しぶりの更新。毎日書くこと、続けることはなんだったのか。しかし、現状が今まで生きてきた中で精神的にも一番つらい時期なのだ。耐えられないほどの苦悩、不安、寂寥に思わず母親に電話してしまった。

 

母親とは、どんなときいつでも、話を聞き自分を肯定してくれて、無限の優しさを与えてくれる救いである。不安定な現状に居場所をつくってくれる。頑張らなければならない。葛藤はあれど止まってはいけないのだ。立ち止まってしまえば、無なのだ。前に進み続けることが大切なのである。

 

夏までには内定を出し、報告を持って帰省する。それが現在最大限の親孝行なのだ。口だけの人間から脱却しなければならない。プレッシャーにも打ち勝ち、不安を振り払い、強くならなくてはならない。

 

 

実習を終えて

更新があいてしまった。ここ二日間は、ゼミ活動の一つの山場を越えたと思う。

 

ゼミの一環として、一泊二日の実習に行ってきた。本来は二泊なのだが。就職活動を理由に逃げてしまった。また嘘をついてしまった。本当に苦痛なのだ。

午後に小雨のなか、釣りをする。まずつけ方がわからなく、一人で手持無沙汰に悩んでいた姿は、昔の自分が他人として見ていたら、自分はどう感じていただろう。気にも留めないのだろうか。大学生活で留年し、本来の自分を見失い、別人のようになってしまっている。

脱線してしまった。釣りの下準備が分からず、勇気を出して院生に尋ねる。親切な先輩は教えてくれたのだが、糸を手渡したとき、針をつけていたことを言い忘れ、怪我をさせてしまった。伝える気もなかったのだろうか、小さな気遣いができなかった。そのあと、不機嫌にさせてしまったのだろう、あなたにかまっている暇はない、明らかに嫌悪感を抱きながらも少しずつ教えてくれた。また一つ、失敗してしまった。

 

私の不器用さが露呈した実習だった。一人でいること、孤立することは自ら進んでの結果だと考えていたが、人と会話することのやり方を忘れていくことの不安のほうが大きくなっている。浮いたり、他人の目気にするよりも、自分が社会的に適合できるのか影が出てくる。自分らしさとはなんだろうか。思春期のような苦悩を成人超えの男が今更抱えているのは、他者からみても哀れだろうか。話しかけてくれる優しい人たちとどのように接するのか、嫌われたくない一心でぎこちない会話、対応、、生きづらさを感じてしまう。

 

どこかで、どうせ一年間だけの付き合いだと割り切っている自分がいる。どうして打算的でしか考えられないのだろう。人に興味がないのか、自己愛でしか自分という人間は成り立っていないのか。

 

優しくされると、複雑に感じてしまう。感情が欠落していっている気がする。

 

来週に控えた面接を頑張りたい。

実習日前

8時ごろに起床。特に書く内容がない日中を過ごす。

 

自殺直前という本を流し読みした。彼女の苦しみ、生きづらさを知ると、私の日常での悩みなんてくだらないただの甘えに思える。これもまた、悶々と苦悩している"フリ"なのだ。嘘をつきながら、偽りながらでしか生きていくことができないのか。たまにはポジティブなことを書かなければ。

暗い本ばかり読むからいけないのだ。すぐに感化される性格は、昔からわかっているはずだ。そうとなれば、明るく希望あふれる一種の自己啓発ともなる本を読めば、単純で何も考えていない空っぽの頭はすぐに騙されるだろう。

 

夜に少しだけ勉強した。集中力のなさを改めて感じる。

 

明日のことを考えると、不安と憂鬱でいっぱいになる。明日は早く眠りにつくために、今日は遅く寝よう。睡眠不足で事前準備したり、二日目を過ごしたくないがために、就活と称して教授に嘘をつき、帰らせてもらったり。集団生活が苦手なのだ。この日だけを乗り越えれば、もうあとは実験を続けているだけでよいのだ。明日だけ、とにかく一日だけを。

 

 

月曜日の朝

今日は起きるのが本当に苦痛だった。つかみどころのない、もやもやとした苦悩に襲われる中、強引に身体を引っ張り出し学校に行く。逃げださなかっただけマシなのだろうか。

演習は憂鬱だったが、なんとか乗り越えた。きっとこれからも、他人は何ともなく、そつなくこなしていることを何倍ものエネルギーを消費し、精神を擦り減らしながら過ごしていくことになりそうだ。極限にまで来たと感じたら、この一年間だけ、を心の中で何度も繰り返すことを支えとして生きよう。

夕方歯医者に行く。無事治療。よく磨かれている、これからも頑張って下さいと言われ少し嬉しい。

本を読んでて意味があるのか分からなくなってきた。私のはただ活字の表面をなぞっているだけで、文字に込められた奥深い心情、心理を理解しようとしていない。読み終わっても内容を反芻できない。全てが”フリ”なのである。

実験しているフリ。人の話を聞いてるフリ。就活しているフリ。

すべては沈滞し、退廃さえしない。羊より従順に授業を受け、惰性が毎日の原動力。中沢ケイ